パチンコ依存症になった話【part3 ストレスの爆発】#46
パチンコ依存症になった話、第3章です。
まだ前回の話を見ていない方はこちらから読めます!
さて、東京で100万円の借金をした僕。
その借金が原因でストレスになり、鬱病で仕事に手がつかなくなり、退職。
借金は一度親に立て替えて貰い、地元に帰ることに。
この後どうなったのか。
この時は22歳で、季節は春辺り。
東京に住み始めた時から2年経った頃ですね。
地元北海道に戻り、札幌で仕事を探す。
すると専門学校の同期から連絡がありました。
「久しぶり!
今ね新規で料理屋さんを立ち上げる予定なんだけど、良かったら一緒にやらないかい?」
おお!
新規店かあ、新鮮でいいね!
興味あると思ったので、話を聞きに行くことに。
そして、色々あってイタリアンのお店をオープンすることになりました。
そして僕はその店舗の料理長を任される事に。
まだ22歳、年齢的には未熟だが、料理の腕には自信があった。
約半年後の9月にオープンし、奮闘することになりました。
(※お店を立ち上げた話は次回別記事にて話そうと思います!今回はパチンコ依存症について主に書いていきます。)
経営はというと、かなり厳しかったですね…
元々小さい箱のお店で客単価も高いわけでなく。
集客にも悩まされる事もしばしば。
料理長とはいうものの、従業員は僕一人で全ての業務を携わってました。
少しでも時間があれば、系列店のバーに顔を出して接客して顔を広めたり、なんて事もしてました。
お店は18時~深夜2時営業。
夜が盛んな街なのでこのようにしてました。
営業が終わると仕込み、そうじ、事務作業に追われ、気づけば朝になっている事も。
時間が全然なかった。
売り上げが下がると、上司に怒られる。
ノルマを達成しないと給料が減らされる。
暇があればSNSで個別にメッセージを送り営業。
結構辛かったのに、負けず嫌いで誰にも相談できなかった。
ストレスが溜まる。
何も考えたくない。
逃げ出したい。
なんでお店やったんだろう。大変すぎる。
そんな毎日が嫌で、ふと思ってしまった。
少しだけ、パチンコ打ちに行こうかな。と。
仕事が終わり、朝まで仕事して、そのまま寝ずにパチンコ屋に並び、打つ。
この時間が、わくわくして最高だった。
なぜかと言うと、何も仕事の事を考えなくていいから。
嫌な事を忘れられるから。無の空間。
この時間を得るためにお金を注ぎ込んでいるといっても過言ではなかった。
そして、昼過ぎに終わり、仕事へ。
この時の現実へ引き戻される時が地獄だった。
しかも一睡もしてないから力が出ないしやる気も起きない。
気づいたらお金もすり減っていた。
けど、東京で一度借金地獄を味わってたので
消費者金融や、使っちゃいけないお金に手をつけることはなかった。
そこは頭がちゃんと働いていたかな。
給料ギリギリまで使ってたけど…。
またパチンコ依存症が復活してました。
なんでこんな同じ過ちを繰り返しちゃうんだろうな。空き時間見つけてはパチンコ。
ストレスを少しでも和らげたくて。
けどストレスは増すばかり。
24歳の夏頃。
お店をやって2年弱でしょうか。
結局、仕事が手につかなくなり。
経営していたイタリアンのお店を閉店させてしまいました。
そして鬱病が再発。
もう、何もかもが嫌になってしまった。
死んでしまいたいと思った。
(※閉店させてしまった事は別記事にて書いております。)
まとめると、
仕事などのストレス発散にパチンコを打っており
悪循環から抜け出せなかったという事です。
パチンコは、一度依存しちゃうと辞められない。
そして人生を狂わせる元凶になり得る。
今は大分衝動が治ったけど、たまに行きたいと思う時がある。
次回に続きます!
現在は、どのようにしてパチンコ依存症と向き合っているのか?
克服出来たのか?
パチンコは悪なのか?
をお話したいと思います。